人生年表

Hola todos!

皆さんこんにちは!

 

最近自分の人生をふと振り返ることが多くなったので、本ブログにて僕の過去を大暴露していきます。

 

 

近所の女の子に初恋した幼少期(5-8才)

父親の会社の社宅に住んでいた幼少期、同じ団地に住んでいた同い年の女の子に恋をしました。

活発で気が強く、やんちゃな男の子にも挑んでいくアクティブ系女子でした。

小学2年生の2月、バレンタインデーにてその子からチョコをもらい人生初の転機が訪れるかと思われましたが、大人しく小さかった僕がその子の候補に入ることはありませんでした。。

 

サッカーを始めサッカーに終わった小学時代(8-12才)

小学2年時、双子の弟のサッカーの試合を観に行ったことがきっかけで地元のサッカースポーツ少年団に入団することを決意しました。

どハマりし、スポ少の練習や試合以外でも家の近くで自主練をしたりプレステのゲームでもサッカー関係のゲームしかしないというほどの徹底ぶりでした。

学校生活においては基本的にサッカーのことばかり考えて過ごしてましたが、いじめに加担してしまったり一時的に無視されたりし、他人の痛みをわかるようになり、その後の人格形成において大切なことを学びました。もしこの時代に痛い目を見なかったら、今の自分はないと思ってます。

 

とにかくモテたかった中学時代(12-15才)

小学時代とは違い、サッカー以外にも目を向け始めました。それは女の子です。笑

サッカー部に所属し勉強にも力を入れ始めましたが、それよりも女の子の視線が気になり何かと異性を意識した行動をするようになりました。

モテるためにはとにかく目立たなきゃだめだと思い、柄にもなく生徒会に立候補し入閣しました。

モテるための努力を欠かさず行い、ついに念願叶って中学3年次に初彼女ができました。

しかしそれは本当に彼女が好きだったからではなく、ただ単に彼女持ちというステータスを得たかったという思いが先行し、数ヶ月後には破局しました。

この破局を機に、外面を磨く前にまずは内面を磨き女の子ではなく自分のやりたいことにフォーカスすることを決意しました。

 

サッカーに明け暮れた高校時代(15-18才)

中学時代の行いを改め自分自身にフォーカスを当てようと決意し、サッカー部に入部しました。

進学校でしたが、練習はかなりハードで周りの意識も高く高校3年間をサッカーに捧げようと決心しました。

とにかく試合に出て活躍し、全国に出るということしか頭になく、学校生活では友達をあまり作らず全く目立たないよう過ごしました。

練習や試合以外でも朝早くにグラウンドに着いたり、夕方の練習後に居残り練習をしたりし、全てをサッカーに注ぎましたが、トップチームの試合に出れない日々が続き、燃え尽き症候群になり高校最後の大会前に退部してしまいました。

チームメイトや監督からの説得もあり、大会直前に復帰しましたが、戻ってきたら既に自分のポジションはなく最後の大会をベンチで見守ることになりました。正直後悔しかありませんでした。

もしあの時辞めなくても試合に出れない可能性はありましたが、あそこで踏ん張り何くそ根性で練習を続けていたら、最後の大会後の景色が違って見えたと思います。

この高校時代ではとにかく目の前のことに必死で、自分の感情を度外視し最終的に燃え尽き症候群になってしまったので、メンタルケアの大切さを学びました。

 

自分の感情のままに生きた大学時代前期(19-21才)

1年間の浪人時代を経て、念願の東京の大学に進学しました。

とにかく家族から解放されたくて上京したので、舞い上がりました。

某サークルに入部し、とても居心地が良かったのと寂しさを紛らわすために何度も飲み会に参加しました。

ダンス系でしたが、意外にもハマり練習に打ち込むようになり、大学の授業やバイトもロクにせずとにかく自分の心を満たすためにサークルの練習、飲み会に明け暮れました。

しかし大学2年の11月、ふと自分を見失っていることに気づき、サークルを辞めました。

辞めてから数ヶ月間は何も打ち込むものがなく、心が病んでいき大学常駐のカウンセラーに足を運ぶことになりました。

目の前の快楽や寂しさを紛らわすために自分にとって本当に大切なことが見えなくなり、これでは自分の人生が墜落してしまうと思っていた矢先、親友がヨーロッパを一人で周遊した話を聞きそれに感化され、海外に目を向けるようになりました。

 

海外にハマり、スペイン語に出会った大学時代後期(21-23才)

前記の親友に感化され、手始めに外国人が多く住むシェアハウスに入居しました。

しかし内向的で英語が話せなかった自分は疎外感を感じ、また他人と同じ部屋で寝ることに抵抗感を覚え1ヶ月で退去しました。

しかしこの経験から悔しい気持ちが湧いてきて英語を本格的に勉強しようと決意しました。

内向的な自分は大人数で会話することに抵抗があるので、オンラインでマンツーマンでのレッスンを毎日取り、日々海外への意識を強めていきました。

英語を勉強していく中で、英語を話せることは特別なことではなく世界という場に立つためのスタートラインに立つ手段に過ぎないということに気づき、もう一言語話せるようになりたいという思いから、スペインや中南米の多くの国々で話されているスペイン語の勉強を始めました。

この決断がその後の自分の人生に大きな影響を与えました。

スペイン語にどハマりし、毎日スペイン語漬けになりました。

そこで親友の話を思い出し、そうだ、実際にスペインに行けばいいじゃないか!と閃きました。

サッカーイングランドリーグのファンということもありイギリスにも行きたいとなり、人生初の海外旅行を一人で敢行しました。

バックパックを担いで約1ヶ月間一人でイギリス、スペイン、モロッコを周遊し、より海外への意識を高めまた低迷していたスペイン語熱も再燃しました。

この海外一人旅で自分の中の世界が一気に広がりました。

大学4年次に、スペイン旅行時に悔しい思いをしたことがきっかけでメキシコへの短期留学を決意しました。

就活もしましたが、それよりもスペイン語を高めたいという思いが強く、就活を適当に早く終わらせメキシコ留学を迎えました。

2016年8月にメキシコ第2の都市グアダラハラに足を踏み入れ、これがメキシコとの出会いになりました。

メキシコ留学でよりスペイン語への意識を高め、就活で内定をもらっていた企業に断りの電話を入れ、遂にスペイン語を使って現地で働こうという決断に至りました。ちなみに断りの電話を入れたのは入社2週間の前のことです。笑

それまでの時間は非常に勿体無かったと反省しています。。

 

激動の1年(23才) 

大学卒業前に企業の内定を蹴り、無職となりました。

親に頭を下げて5月から3ヶ月間、スペインへ短期留学に行かせてもらいました。

メキシコで就職するために必要な語学レベルまで短期間で引き上げるという目的があったので、一日をスペイン語に捧げられる環境を求め留学を決意しました。

留学期間中は朝授業に出て午後復習をし、週に何度か言語交換で知り合ったスペイン人たちと出かけると行った生活を送りました。

1日スペイン語漬けの生活を送った成果、留学前と比べ飛躍的に語学力が伸びました。

幸いなことに留学期間中にメキシコの企業の内定をもらい、留学後メキシコで就労するという目標を叶えました。

就労ビザの手続きの遅れで実際にメキシコに渡航するのは、留学から帰国した8月から5ヶ月後の12月になり、その間いつビザが降りるかわからない状態だったので身動きが取れず、毎日不安との闘いで非常にストレスフルでした。。

12月25日クリスマスの日に晴れてメキシコシティに到着しました。

 

順調な日々を送っていたものの鬱で帰国(24-25才)

無事にメキシコシティの企業に就職し、環境にも恵まれ残業はほぼなく自分のスキルを高めることに注力しました。

またツイッターでの情報発信を始め、SNS上で素晴らしい出会いに恵まれ毎日ワクワクしながら生活していました。

環境を変え新しいことに挑戦したいという衝動に刈られ、転職を決意しました。

しかし転職した先で苦悩の日々が始まり、毎日行きた屍のように過ごすようになりました。

ある日自分の中での糸が切れ気づいたら会社を勝手に早退し帰りのメトロに乗り、家にいました。

この当時の詳細は以前のブログにて執筆しました。

その次の日には上司に退職を告げ、特に考えず日本行きのチケットを購入し退職後1週間後に日本へ帰国しました。

帰国後は日本で働こうかメキシコに戻ろうか、はたまた他国に挑戦しようか考えを巡らせました。

精神的にボロボロになって帰ってきながらもSNS上で出会った素晴らしい仲間に対面し刺激を受け、またメキシコにやり残したことがある感覚があったので、メキシコへ戻る決断をしました。スペイン語への愛は消えておらず、それを存分に活かせるという意味で通訳職で転職活動を行いました。

日本には合計3ヶ月ほど滞在し、SNS上での縁で現在の通訳職で内定を頂き、すぐにメキシコへ飛びました。

日本滞在中、親のスネをかじり精神的に不安定でしたが、生きる希望は捨てなかった甲斐があって現在に至ります。

 

苦難がありながら毎日生きてる現在(25才)

メキシコに戻り新たな土地ケレタロで通訳職として働き始めました。

最初の2ヶ月は、通訳という仕事が思った以上にハードでまた精神的に不安定になり、頻繁に体調を崩していました。

しかし日々成長を実感できるようになってからは、苦難がありながらもそれを乗り越えられる自信がついてきました。

将来のことはあまり考えずとにかく1日1日をどう乗り越えるかにフォーカスを当てるようになり、高校時代サッカーに明け暮れた感覚をやっと取り戻しました。

今はとにかく毎日が刺激的で楽しいです。

 

 

長くなりましたが、以上が僕の人生年表です。

最後まで読んでくださりありがとうございます!!